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「言葉にしない」という事実を盾にとって、自分が暗黙で「そういう状況に追い込んだ真実」から逃げる人、居ますよね。
「俺(私)がそうしてとは 一言も言ってない」と言う割に、相手に「やらざるを得ない」状態に持っていかせる人。
正直「卑怯者」やと思います。
言葉にしてしまうと、それは事実として大きく働くものですから、責任逃れが出来るということを知っているとしか思えないのですね。たとえ無意識にやってたとしても、「無意識だから許される」というものでもないと思います。
無意識の過失は、謝罪があってこそ初めて相手から許されるものです。
意識下では過失ですらないし、悪意があるなら許されざるものだとも思います。
ま、正直、そういう人のほうが真実には敏感なのでしょうが…。ちょっと羨ましい気もします。
私は性格的にも 極端に白黒つけたがる所があるので、何とも言えませんが、そういう自分で けじめのつけられない人の方が、悲しいかな「事実と真実」を使い分けて悪用している気がします。
「写真」とは「“真”(実)を“写”す」と捉えられがちですが、実際は真実どころか、事実しか写さない代物です。
目に見えないものが真実である場合、見える事実に置き換えて捉える表現方法の一環でしかないです。写真に限らず芸術とは、事実を呈する事で、自分が感じ、つかみ取った真実を伝えるということを表現するということに重きをおかれなければならない事じゃないかと考えているのですが、正直、まだまだそんな域には達していないのが現状。
ともかく、色んな事を糧にし、自分なりの芸術性というものを更に磨いて 精進していきたいものだと思います。
一番怖いのは「盲信するバカ」と肝にも命じておこうとも思います。
今回のアマゾンのリンク先は、私に「過失とは謝罪無く許されるものではない」と教えてくれた一冊。